「異文化との遭遇」 

不動産コンサルタント技能     河合恭伸 著

異文化が遭遇したとき常に大きな発展が起こります。日本人も異文化と接触したとき発展してきた異国の人立つも日本を知って触発されてきた日本人が世界と交わるとき、日本人としての誇りを持つことから全てが始まります。

 

<まえがき>

 戦後、GHQの指導もあって、永い間、日本人が日本の歴史を学ぶ機会が失われてきまました。グローバル化が進む中、世界中の国々と接触が深まるにつれ、日本人自身が日本のことを知り、アンディテイを以て対外折衝しないと、外交であろうと貿易であろうと危ういものがあります。かってインドのパール判事が東京裁判について「ウソの歴史を信じ込まされて、民族の自尊心と快活さを失わないように、私が書いた判決をよく学んで欲しい」と述べていますが、いまこそ、本当の日本の歴史を知る必要に迫られています。

 日本は遠く大和王朝が築かれる以前から、いろいろな形で海外との接触がありました。しかし、古代では四方海に囲まれた国として、まだ見ぬ国々についての関心は高かったものの、造船技術も航海術も未熟な当時として限られたものでした。それでも、最初に国として組織的に海外情報を求めたのは推古一0年(600)頃に派遣された遣隋使に始まり、遣唐使の派遣でした。それは海外情勢や中国の先進的な技術や仏教の経典等の収集が目的とされていました。第一次遣唐使は、舒明天皇二年(630年)の犬(いぬ)上(かみ)御(み)田(た)鍬(くわ)の派遣によって始まったとされています。しかし、多くの海難犠牲者を出していたことや中国に朝貢する姿勢に問題がある外、唐の内乱も重なって、それまで続いていた遣唐使の制度を寛平六年(894年)菅原道真の建議により停止されました。奈良時代(756))にはいり、聖武天皇のご冥福を祈念するため御遺愛品を光明皇后が東大寺に奉献された品々が正倉院に納められていますが、その中には遠くはペルシャやモンゴル等から伝来の珍奇な品々が含まれています。また、平安中期に編纂されたという「延喜式」(905)には宮廷で用いる布の染色方法について書かれていますが、そこで用いる染料は遠く東南アジアのみならず、南米ペルー沖に生息する貝殻も利用されていたという。下って徳川時代は鎖国をしていましたが、オランダ、琉球、朝鮮などを通じて、情報の収集はかなり積極的に行ってきましたので、幕府にとってペルーの黒船来航も突然のことではありませんでした。

 一般庶民が偶々海難などに遭い、心ならずも海外に長期間滞在した後帰国し、異国の情報を入手する機会は屡々ありました。例えば、ロシアを長期間放浪した大黒屋光大夫(1792)、世界一周した津大夫(1793)、アメリカの捕鯨船に助けられたジョン万次郎(1841)などが、帰国して色々な情報を持ち帰ってきた事例もあります。しかし、鎖国日本に帰国すること自体が犯罪者扱いにされ、帰国もままならない時代でした。それに、これらは国として人を派遣して組織的に情報収集したものではありません。

 その後、造船技術や航海技術の進歩もあって、西欧諸国からの来航や使節団を派遣する機会が増えてきました。幕末の頃になるとさらに西欧諸国からの接触が激しくなり、西欧文明を積極的に採り入れる必要に迫られ、時の政府が数次の使節団を西欧に派遣するようになってきました。それらの状況を本書に紹介することで、異文化との接触がどのような形で進められたのか知って頂きたいと思いました。例えば、遣唐使にかかる記録も、著者の知る限りでは、最後の遣唐使として渡航され、天台密教を伝来された慈円上人による日記がありますが、難解なので省略させて頂きました。また、幕府や雄藩が情報収集のために数次にわたり海外へ人材を派遣した記録はあっても、その当時の状況を知る資料に乏しいため、紹介できない場合もあります。

 一方、異国からも積極的に日本ついて様々な情報を得ようと努め、古くから色々な形で接触が試みられてきました。それらが記録として遺されています。そのとき異国の人達はどんな印象を日本や日本人について抱いたのでしょうか、その内容を知ることは、私達自身を知る上で大きな意義があると考えます。それらの中から、比較的よく知られていながら内容が知られていないものを、幾つかをここで紹介させて頂きました。また、明治維新が成立し、日清・日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じて飛躍的に諸国との接触が増えました。そうした機会を通じて世界各国は日本をどのように見てきたかを知って頂きたい。と同時に、日本人もまた海外に進出し、日本文化を理解して頂くため、英語による著書も出版し、多くの反響を得ています。外国人の中には色々な動機で日本に長期間滞在し、日本文化を自国に照会している事例があります。

 国同士の接触も増えたとき、海外の人達は日本をどのように見てきたかということにも関心を抱きます。例えばドイツ建築家のブルーノ・タウトは日本に亡命してきた翌日、桂離宮に案内されました。、桂離宮は色彩を極限にまで抑えながら、建築の美、質を表現していることに強い衝撃を受け、「無限の精神を蔵しているこの関係の豊かさに、最初は息詰まるばかりの感じであつた」と激賞、世界に日本建築を廣く紹介しています。このように、本書では色々な面から世界と日本との文化交流を紹介し、日本人としてのアンデイテイを掴み、日本人による日本文化の理解を深めて頂ければと願い、本書を著しました。

平成二八年 吉日                                河合恭伸 識

機‘本が見てきた異国
  一 天正少年使節団
  二 慶長遣欧使節団
  三 万延元年遣米使節団
  四 文久遣欧使節団
  五 岩倉具視使節団

供^杞颪ら見た日本
  古墳   一   魏志倭人伝    陳寿
  鎌倉   二   東方見聞録    マルコ・ポーロ
  戦国   三   東洋遍歴記    フェルナンド・メンデス・ピント
       四   書簡    フランシスコ・ザビエル
       五   日本巡察記    アレッサンド・ヴァリニャーノ
  安土桃山 六   日本見聞録   ドン・ロドリゴ
       七   金銀島探検報告    セバスティアン・ビスカイノ
  江戸   八   江戸参府旅行日記   エンゲルベルト・ケンペル
       九   海游録   申維翰
       一〇  江戸参府随行記   C.Pツュンベリー
       一一  日本幽囚記   ワシーリー・M・ゴローニン
       一二  日本    フォン・シーボルト
  幕末   一三  ペリー日本遠征記    マシュー・C・ペリー
       一四  世界周航日本への旅    ウィリアム・ハイネ
       一五  エルギン遣日使節録   ローレンス・オリファント
       一六  フリゲート艦パルラダ号    イワン・ゴンチャロフ
       一七  長崎海軍伝習所の日々   ファン・カッテンディーケ
       一八  日本滞在記   タンゼント・ハリス
       一九  大君の都   オールコック
       二〇  一外交官の見た明治維新   アーネスト・サトウ
       二一  シュリーマン旅行記   ハインリッヒ・シュリーマン
  明治   二二  日本雑事詩   黄遵憲(こうじゆんけん)
       二三  知られざる日本の面影   ラフカデイオ・ハーン
  昭和   二四  菊と刀    ルース・ベネデクト
       二五  アメリカ人の鏡・日本    ヘレン・ミアーズ

掘‘本文化の紹介
  一 武士道   新渡戸稲造
  二 代表的日本人   内村鑑三
  三 茶の本   岡倉天心
  四 武士の娘   杉本鉞子
  五 禅と日本文化   鈴木大拙

検ヽ胴颪箸慮鯲
  一 英国との皇室外交
  二 トルコの軍艦遭難救助
  三 台湾の日本統治
  四 ブラジルの保証付日本人
  五 ポーランドの孤児救済
  六 ウズベキスタンのナヴォイ劇場
  七 パングラディシュの国旗
  八 ブータンの農業開発支援
  九 モンゴルの独立支援
  十 パラオの委託信任統治

后‘本で活躍した異邦人
  一 徐福(渡来秦人)
  二 鑑真和上(律宗開祖)
  三 ウイリアム・アダムス(三浦按針=幕府外交顧問)
  四 エドアルド・キヨッソーネ(彫刻師)
  五 エドアード・S・モース(生物学者)
  六 アーネスト・フェノロサ(美術家)
  七 バーナード・リーチ(陶芸家)
  八 ブルーノ・タウト(建築家)
  九 ウイリアム・S・クラーク(札幌農学校教頭)
 十 ポール・クローデル(仏外交官)

 この本を書き終えて、日本人は他国とは海で隔てられてはいましたが、異文化について多くの関心を寄せていたことが分かります。また異国の人も、それに劣らず、極東の島国のことに無関心で放置することができず、積極的に日本を知ろうと努めてきました。そして、何時の時代でも日本を訪問し垣間見たとき、異国の人々は異口同音に、親切だ、礼儀正しい、清潔な国だと言っています。それが付け焼き刃の話でなく、日本人の特性として認識されています。

 しかし、戦後の自虐史観の中では、特に日教組を通じて日本人は残虐な国民だと教え込まされてきました。そのため日本を愛せず、外国人と論争したとき、卑屈になっています。戦時中のこと、殺し合いのなかで、幾らか残虐なこともあったかも知りませんが、それを言えば総ての国について言えます。双方とも殺し合いの世界の話です。問題は平時の時の態度です。中国、韓国以外の国々では、つねに好感度一位にランクインされています。例えば、ブラジルでは「保証付日本人」などとして絶対的な信頼を受けていますし、戦国時代の殺し合いの時代にあっても、日本に布教のためにやってきたアレッサンド・ヴァリニャーノは、「日本巡察記」のなかで、日本人や日本文化の優れた特質を見抜いていたことに驚きます。また、終戦直後に出版されたヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」は衝撃的な内容です。当時、日本が如何に周辺国に翻弄されていたかが分かるようになっていて、米国人によって此処まで真実を解き明かしてくれていることに敬意を表します。さすがのマッカーサーも米国人の筆になる本ではあるが、彼が在任中では日本での発売を差し止めています。

 他方、日本文化の深淵を説明する本が、明治期以降に日本人の手による英文の本が発信されています。これらの本を手にすることで、逆に私達日本人自身の優れた特質を理解でき、何故、世界の多くの人びとに信頼されているのかということを、確信を以て理解できるのではないでしようか。これらの本の多くは、いまでは来日する人々の必読書となっているとのことを嬉しく感じます。各国とのちょっとした付き合いの中に、日本人の特性が垣間見られます。また、突如として起こった事件を通してその国民性が表れるものです。

 グローバル化がますます進む中、日本人自身が日本文化をもっと誇りに思うと同じに、世界の人々の文化を理解して、相互理解の垣根が少しでも低くなることを期待するものです。何時の日か、世界に真の平和が訪れることを期待して筆を置きます。

平成二八年 吉日                                河合恭伸 識

帯 表  異文化が遭遇したとき常に大きな発展が起こります

     日本人も異文化と接触して発展してきた

     異国人の人達も日本を知って啓蒙された

裏    日本人が世界と交わるとき、日本人としての

     誇りを持つことから全てが始まります

 

 

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