2019年10月号

「淀屋辰五郎」
 大阪を代表する淀屋橋を架けたとされる淀屋の分限 振りは並外れていたようです。初代淀屋常安は才覚で 財を成し、九代(一説には五代)辰五郎の代になって 驕奢に過ぎるとして闕所となり、淀屋は世間から姿を 消しました。

 山城の国から岡本三郎右衛門は大阪北浜に居住して 屋号を淀屋と称し初代淀屋常安と名乗った。豊臣秀吉 が京都聚楽第や伏見桃山場を築くとき、人夫の手配に より財を成し、その後兵糧米運搬の役を受けたり、材 木の売買にも精をだすうち徳川家康にも出入りを許さ れてるようになった。大阪夏の陣のとき、茶臼山に陣 所を建てて徳川側に供して、いよいよ信任を得て、山 城八幡に三百石の土地と御朱印書を受けた。

大阪冬の陣が終わったとき、戦場の片付けを許され、 戦死者の処分、鎧兜の売却で更に財をなして六0歳の とき隠居した。二代目は幕命を受けて諸侯の廻米を引 き受けて更に財を成し、帯刀を許された。代が移って 七代目のときは、船を作って諸国に荷物を運んで財を なし、願い出て米商い免許状を得、数学的根拠による 先物取引を初めた先駆者として海外にもその名が知ら れるようになった。一説には当時の淀屋の財は大大名 をも凌ぐ程で、上方以西の大名で淀屋からの借金して いないものはなかったとも言われ、その資産は一二0 兆円にものぼったとのことです。

 貞(じよう)享(きよう)元年の頃(1684)に生まれた (生没不詳)九代辰五郎(通称)は未だ一四歳で家督 を継いだが、遊興にふけり、僅か一年半で百億円の金 を費消する程でした。その遊興は「町人の身分に過ぎ たる振る舞い」ということで、米商の免許は取り消さ れ、先祖の余光で死罪は免れたものの、闕所、所払い となって財産総てが没収された。

一説には諸大名が淀屋に対する借金で抜き差しならぬ 状況になっていたのを、倹約令違反の口実で取りつぶ したとも伝えられています。

 その後、彼は日光東照宮百年祭の恩赦で、享保元年 (1716)のとき家康から拝領した八幡の土地の返還を うけて戻ったが、一年後の享保二年三0歳の若さで没 した。巨万の富を誇る豪商であっても、遊興に耽って いては身を滅ぼす例として、淀屋の伝記「淀屋辰五郎 実録」が著されたり、近松門左衛門作の浄瑠璃「淀鯉 出世滝徳」などに題材を提供しています。

 

  

             

健 康
■ 熱中症について

昔は日射病、熱射病などと言われていた時期もあ りましたが、必ずしも灼熱の下でなくても同じよ うな症状で苦しむ人があることから「熱中症」と いう言葉が使われるようになりました。

熱中症は当然気温が高く、湿度が高く、日差しの 良く当たる「環境」でよく起こりますか、幼児や 高齢者などの「身体」的に弱い人も罹ります。さ らに、炎天下で長時間水分や休憩が撮れないよう な「行動」をしているときも罹りやすい。

熱中症は、めまいや立ち眩みがする「ステージ1」 の場合、頭痛、吐け気、嘔吐を引き起こす「ステ ージ2」の場合、意識障害、けいれんなどの運動 障害が起きる「ステージ3」の場合に分けて診断 されているようです。

熱中症は体温調節機能が何らかの原因で低下して いることで起きる身体の異常なので、医師の指示 を仰ぐことが大前提ですが、症状の重さは体表温 度でなく肛門などで図る深部体温を測って症状の 程度を知ったり、指先の血流を見て血液の濃度が 異常に高まっていないかを知ることで症状の程度 が判断できます。

対症療法としては、速やかに涼しい場所に移動さ せて安静にさせ、本人が経口で水が採れる場合は 水や電解質を摂取させ、冷風でなく温水による送 風を心掛ける。意識障害を起こし経口で水が飲め ないときは、直接胃の中に冷水を補給したり、注 射で水分を補給する。併せて、エネルギー源とな る炭水化物の分解・吸収に必要なビタミン剤や栄 養ドリンクを補給することも効果的です。

気温に体力が順応していないときに、急激に気温 が上昇したりすると、灼熱でなくても熱中症にな る危険があるので注意し、体調が思わしくないと 感じたら頑張り過ぎず、早めにこまめに水分を補 給したり、休憩をとるなど罹病しないことが大事 です。ビールやコーヒーなどの利尿作用のある水 分補給は控えてください。

 

建築  
■ セメントの進化 

     

セメントとは、一般的には水や液剤などにより水 和や重合し硬化する粉体を指し、広義には、アス ファルト、膠、樹脂、石膏、石灰等やこれらを組 み合わせた接着剤全般を指します。

しかし、建築関係ではセメントといえば土木建築 用に使用される「ポルトランドセメント」を指し ます。石灰石と粘土を混ぜて焼き、粉砕した灰白 色をした粉末ですが、イギリスのポルトランド岬 から産出されるポルトランドストーンに似ている ことからそう呼ばれています。

このセメントに水を混ぜて混和したものが「セメ ントペースト」さらに砂などの細骨材を一般的に は1:3 の割合で混和したものが「モルタル」で、 小石などの租骨材を1:3:6の割合で混和したものが 「コンクリート」と呼ばれています。

セメントペーストよりコンクリートの方が硬化強 度は強まりますが、さらに適材適所に応じて混和 率を変えたり、収縮低減材剤などの「混和材料」 の量を調整することで使用場所に応じた性質に変 えて出荷されています。

基本的にコンクリートは圧縮力に強いが、曲げや 引張力には弱いので、鉄筋を入れて弱点を補強し て使用していますが、鉄筋は酸に弱いのでアルカ リ性のコンクリートから露出しないようにして使 用します。

また、セメントはポルトランドセメントで作られ るものが70%、高炉スラグ微粉末を混ぜて水蜜 性を高めた「高炉セメント」が20%程度利用さ れ、発電所の燃焼排ガスから回収されたフライア ッシュを混合し、流動性や発熱を抑えることので きる「フライアッシュセメント」などがあります。

その他、発泡剤など様々な「混和材料」の割合を 調節することで、トンネル掘削時の出水を止める ことのできるセメントや、ダムなどの重量建造物 を作るとき、内部の蓄熱を最低限度に抑え、均一 な擁壁を作るセメント、海水中で橋脚を作るため のセメントなど、特殊な作業現場での要望に応え られるセメントが開発されています。

また、現場で混和作業をして使用する場合、離れ た場所で混和し「生コン」の状態で搬入して使用 する場合、工場で製品化したものを作業現場に搬 入する場合など、様々な要望にも適応したものが あります。いずれも日本工業規格が設定されてい るので、均質な作業が安心して行える仕組みにな っています。

最近は省エネ、耐震の要望から多孔質にすること で、遮音、緑化、水質浄化が図れるものや、酸化 チタンによる光触媒を利用して大気浄化が図れる ものまで作られるようになっています。

これほど多用されるセメントですが、国内自給率 は100%と安定供給できますが、廃棄建材を利 用した「エコセメント」も用いられています。

    

 税金 
■ 二つの共済掛金 

  

独立行政法人「中小企業基盤整備機構」の運営し ている二つの共済制度が節税に役立ちそうです。

一つは「経営セーフティ共済」の中小企業倒産防 止共済制度で、掛金最高額8万円(近く20万円 まてに引上げ予定)全額経費になるのがミソです。 取引先の倒産時には掛金の10倍、最高額32百 万円(8千万円まで引上げ予定)まで貸し付けが 受けられます。掛金の減額は景況悪化などの説明 が必要ですが、増額は自由、掛金は掛け捨てでな く納付1年以上で掛金の80%返却。40ケ月以上 で無利息ですが100%返却。役員給与を下げて も加入の検討に価します。

二つ目の「小規模企業共済」は、個人事業主が自 分の為の退職積立金制度です。掛金最高月7万円 まで、全額所得控除が受けられますので、その分 節税となります。加入者は今は事業主だけですが、 近く配偶者や後継者も共同経営者となれるようで す。

 心に残る話 
■ 人間魚雷「回天」     

 周南市職員 三崎英 和さんの話  

太平洋戦争末期に不利な戦況の打開を狙って日本 海軍が開発した、人間を乗せた魚雷「回天」を知 ったのは小学校3年生の頃だから50年以上前に なる。

爆弾を積んだ一人乗りの魚雷で米軍の艦船を攻撃 する。百人以上が犠牲になった「悲しい秘密兵器」 のことを調べ続けている。

回天は1944年7月に試作機を完成、11月に 初出撃した。開発を命じたのは軍務局第一課長の 山本善雄大佐。名称は幕末期の幕府軍の軍艦「回 天丸」から取った。

訓練や搭乗員の選出などは当初、山口県のいまの 周南市・大津島の基地で行った。市内で生まれ育 った私は関心を抱いた。

回天は既存の魚雷を改造した長さ14.75m、直 径1m、爆弾搭載量1.55t、420基作られた。 最大速度は30ノット、最高深度80m、最大速度で の航続距離23kmで航続時間は25分。母艦の 潜水艦での敵艦の位置を測って出撃する。潜望鏡 はあつたが、停止、後退はできず、脱出用の設備 もなかった。

太平洋上のウルシー環礁への初出撃では停泊中の 給油艦を撃沈したが、その後は米軍の監視が厳し くなった。事前の予測では命中率は75%だった が、米国側資料では、撃沈・撃破された艦は7隻 であったことから15.6%だった。

1m四方の閉鎖空間での片道切符の過酷な任務だ。 訓練を受けたのは1375人、内母艦の潜水艦で 出撃した108人の内、戦死は80人、事故など による殉職や自決を含めて106人が犠牲になっ た。亡くなったのは17−27歳で平均20.9歳 だった。

父が買った冊子で回天を知った。回天の関係者で つくる回天顕彰会が、大津島に記念館を建てるた めにつくったもので、記念館は私が中学1年生の 1968年に開館した。

大学に入って日本の近代史に関心が強まり、熱心 に調べ始めた。海に散った若者たちへの鎮魂の思 いもあった。市役所に就職して記念館の担当はし なかったが、ライフワークとして調べ続けた。出 撃しなかつた人達や戦死者の遺族の方々に話を聞 き、戦死した人達の遺書や手記を読むと、いつも 胸が熱くなる。

60歳で定年を迎えた3年前、再任用で記念館の 担当を希望した。事実を調べ、伝えるのが役割だ が、回天には謎も多い。回天は「死を前提にした 作戦は採用しない」との東郷平八郎元帥の遺訓を 破る初めての特攻兵器とされる。

山本大佐が開発を命じたとされるが、軍務局の課 長がそんな重要な決定ができるのか、それが最大 の謎である。

回天を巡る状況は厳しい。お世話になった搭乗者 で作る全国回天会も会員の高齢化で活動を止めた。 軍事資料のデータベースがあるが、防衛省防衛研 究所のデータも完全ではない。死蔵されている資 料を集めるため、記念館はご遺族などに提供を呼 びかけている。回天にゆかりの品々や遺品、遺影 などを展示する記念館をもっと多くの方々に知っ て頂くのも大事な仕事だ。

45年1月9日に出撃した21歳で逝った塚本太 郎少尉が家族に宛てた2分半の肉声の録音をご遺 族にお借りして昨年から記念館で公開している。 「われら今ぞ征かん。南の海に北の島に全てをな げうって戦わん。・・・みなさんさようなら、元気 で征きます」

若者や子供達に回天のことや戦争の悲惨さと平和 の尊さを訴えたい。今年の3月に『回天記念館と 人間魚雷「回天」』を皆さんの協力で刊行したが、 更に調べて決定版を出したい。

 

 

 

 

 心に残る話 
■ 広島 遺体の山 

広島市中区 男 75    

広島への原爆投下の翌日、14歳の私と母は姉を 捜しに日赤病院に行った。玄関の丸い花壇に中学 生の遺体が積み重ねてあり。激しいショックを受 けた。

今も鮮明に覚えているその光景を描いた私の絵が 昨年夏、原爆資料館に展示された。その絵をみた という男性から電話を貰った。

当時、広島の中学2年生で、あの日従妹を捜しに 日赤へ行ったという。資料館から紹介を受けた上 での連絡だった。

見知らぬ方だったが、お互いに旧知のごとくあの ひどかつた夏の有り様を語り合った。「電車がよう 焼けていましたなあ」「がらんどになった電車に、 ちぎれて黒焦げになった腕がぶらさがっていて怖 かったです」「電車の床に折り重なった人骨や頭蓋 骨を僕は沢山見ました。実際に見たものでないと 分かりせん。私も年だから資料館に証言を残して おきました。」

波乱万丈の人生だったその人はいま、被曝死した 大勢の中学生が存命だったら、それぞれに素晴ら しい人生を歩まれただろうと思うと無念の涙が溢 れます。

 

地球を考える
■ アンモニア新合成法 

現在地球上に住む人類の食糧を賄うためには、合 成窒素肥料がなければ賄えません。窒素系肥料は アンモニアを利用して作られますが、その他、ア ンモニアは合成繊維、食品、医薬品等の原料とし て幅広く利用されて、世界中で、現在1憶7千万 tも作られています。

合成窒素肥料は1906年にドイツのハーバー・ ボッシュにより開発されたアンモニア合成法を利 用して、過去百年間生産されてきましたが、この 製造方法では100気圧400度以上の高圧・高 温という過酷な環境下で、窒素と水素を鉄由来の 触媒を使って反応させて作っていす。

これらの製造を行うためには採算の関係で、大規 模な製造設備が必要で、地球温暖化させる二酸化 炭素を大量に排出する問題題も抱え、何と全人類 の年間消費する1ー2%に相当する大量のエネル ギーを消費してきました。

ところが今年に入って日本の科学者が相次いで常 温・常圧に近い環境下で、窒素に水を加え、触媒 として、ある科学者はモリブデン化合物を、ある 科学者はルテニュウムを用いるだけで、アンモニ アが高い効率で作れるようになり、近く産業ベー スでの製造方法が確立されようとしています。

常温・常圧に近い環境でアンモニアが作れること は製造設備も小型化でき、専用輸送車両、貯蔵タ ンク設備が不要になり、自社内で小型のアンモニ ア製造設備で賄えることになる等画期的なことが 起きようとしています。

アンモニアは窒素1水素3が硬く結合していまい ます。窒素肥料を作る過程で大量に作られる水素 は燃料電池として使う水素エネルギーキャリアと しても利用することも期待されています。新しい アンモニアご製法は石油燃料に頼ることなく、空 気中窒素と水から水素を作ることのできる社会を 実現する世界が間近に来ています。

 

     
人生指針
■ 「真善美」 

 塩野七生 

美しい行為は「真」であり、

それは「善」にもつながっていくとは

古今東西に関係ない「真性」の処し方です。

    

経営指針
■ 「支配する者」 

 H・キッシンジャー 

「食糧供給」を支配する者は人々を制す

「エネルギー」を支配する者は全大陸を制す

「貨幣」を制する者は世界を制する

 

 

    

歳時記
■ 「落ち穂」

稲刈りをした後に田や畦に落ちいてる稲穂のこと。 大切に手間暇掛けて育てた一粒の稲も大事に収穫 する意味で、農家としては大事な仕事であった。 近頃は、機械で稲刈りをするのでその景色も少な くなった。西洋では麦が落ち穂となります。

落穂拾ひ日のあたる方へあゆみゆく 芭 蕉

両の手にひろひ溜めたる落穂かな  村上 鬼城

    

不動産レポート
・憲法と自国防衛について 

● まえがき

安倍内閣は憲法改定を掲げて成立したが、一向に 憲法論議が盛り上がらない。その論議が盛り上が ろうとすると森加計問題が出てきたり、議事録改 ざん問題や年金2千万円問題が出てきて潰れしま う。

憲法改正絶対反対という野党を筆頭に国をどのよ うに守ろうとしているのか一向に明らかにしない 野党の群れ。日本はどうなるのか心配だ。

● 緊急に論議すべき課題

GHQ に押し付けられた憲法を、自虐史観に洗脳 されて愛国心を否定した観点から、後生大事に 死守し、時代の変化に対応して改定しょうと考 えない。そして国のあるべき姿も説明しない政 党の支配する国会、憲法に自国を守るための最 前線に立った頂く自衛隊に関する記述や、国土 や国民の生命を守るべきことの記載がない憲法。

さらに、神代の時代から続く我国の根幹におら れた皇統が危ういのに、何ら対処しようとする 動きが見られない国会に対し、国民はどのよう に動らきかけるべきでしょうか。

できればNHK等の公共放送において、これらの問 題について継続的に、各党の論戦を開く討論会 の番組を期待したい。

● 取り巻く世界情勢

我が国は憲法前文で「平和を愛する諸国民の公 正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保 持しようと決意した。」つまり、周辺国に日本 の安全を任せるとしていますが、現実はロシア は日本固有の領土の返却に応じす、日に何度も 日本の領空を侵そうとし、中共も同じく尖閣諸 島の接続水域に大型船を何隻も近づけ、領空を 日に何度も犯そうとしています。韓国も日本の 竹島を略奪し、北朝鮮もロシアや中共とともに 核やミサイルの保有し、日本国民を多数拉致し て敵対意識を隠そうともしていません。

こんな国々に日本の安全を託することができな い以上、憲法改正は必要です。

しかし、共産党、社民党を始めとして憲法9条 死守を叫んだり、論議を避ける野党に囲まれて います。現在の平和は安保条約があるからで、 トランプがこの条約は片務的的だと言っていま す。何時条約破棄が行われるか判らない危険な 状況にあります。

単独で日本を守ることは現在の国際状況からム リなので、当面米国との安保条約は必要ですが、 足りないところを補う程度に自主防衛能力を高 める必要があります。

少なくとも、法整備をする意味で憲法改定は必 要です。併せて、自衛隊法が要件主義的になっ ているため、自主的に行動できない。これを否 定条件を明示する法律にし、緊急時の対応可能 に改訂が必要です。

いま尖閣諸島や北方四島に敵機が侵入してきて も、4,5時間も掛かる攻撃命令を待ちながら、 敵機のロックオンに怯えて逃げまくるしかない 自衛隊機の心労軽減に配慮して欲しい。こうし た実情を殆どの国民は知らされずにいます。

● その対策

日本には言論の自由がありながら、周辺国から の防諜工作と、メディアの怠慢から、日本は必 要な情報遮断の環境に置かれています。

GHQの言論統制が敷かれたが、彼らが去った 後も彼らの強いた言論統制の方向に沿った自主規 制が行われ、反省の兆しが感じられません。

危機が迫っているにも拘わらず、それを知ろうと もしない国民の堕落をメディアや政党は助長して います。

 

昭和天皇 御製 
        
   

   

      ゆたかなるみのりつづけと田人らも 

              神にいのらむ年をむかえて 

   

峰つづきおほふむら雲ふく風の  

      はやくはらえとただいのるなり 

                   

      

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